COLUMN

第1回今こそ受け止めて!
「ウエスト・サイド・ストーリー」の音楽にこめたレニーの思い

©nilz boehme

アメリカ合衆国内部の「分断」がクローズアップされている。だが「合衆国」の名が示す通り、アメリカは世界各地からの移民がつくった国であり、いつの時代も多くの分断を克服しながら、今の繁栄を築いてきた。

音楽の歴史をみれば、ヨーロッパ大陸からのクラシック音楽とアフリカ系アメリカ人のスピリチュアル、先住民族の民謡、ラテンのリズムなどが渾然一体となり、ミュージカルやジャズの歴史を切り開いた。アメリカ生まれの作曲家がオペラで最初にもたらした成功はユダヤ系ロシア人の移民の息子、ジョージ・ガーシュインが1935年に完成した「ポーギーとベス」だった。

「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲者レナード・バーンスタイン、通称レニーもウクライナ系ユダヤ人移民の2世として合衆国に生を受けた。「学生王子」のジグマンド・ロンバーグ、「マイ・フェア・レディー」のフレデリック・ロウら先輩ミュージカル作曲家の多くがヨーロッパのユダヤ人で、オペレッタからキャリアを起こしたのに対し、バーンスタインは合衆国に生まれ、国内だけの音楽教育で劇場音楽の新進作曲家、クラシックの交響楽団のスター指揮者となった後、ヨーロッパに招かれて成功した全く新しい世代のアーティストだった。黄金時代は1958〜69年のニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督時代。バーンスタインより前に、アメリカ人の常任指揮者はいなかった。

「ウエスト・サイド・ストーリー」の初演はニューヨーク・フィル就任の前年の1957年。時に39歳、いかに早熟の才だったかと思う。アーサー・ローレンツの脚本の下敷きはウィリアム・シェイクスピアの傑作戯曲「ロメオとジュリエット」。14世紀のイタリア・ヴェローナの街を舞台に、いがみ合うモンタギュー(モンテッキ)家の一人息子ロメオ(ロミオ)とキャピュレット(カプレーティ)家の一人娘ジュリエッタ(ジュリエット)の道ならない恋と悲劇的結末を描く。この物語は古くから作曲家の霊感を刺激、ベッリーニはオペラ、ベルリオーズは劇的交響曲、チャイコフスキーは幻想序曲、プロコフィエフはバレエ音楽……と、それぞれが得意のジャンルで傑作を生んでいる。

バーンスタインは指揮者として、これらの作曲家全員をレパートリーにしていた。だが「トゥナイト」「マリア」「サムウェア」「マンボ」「アイ・フィール・プリティ」など、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」のために書いた音楽は誰の真似でもなく、合衆国気鋭の作曲家が多民族社会の底に流れる様々な音楽のルーツに光を当て、それらが一つに溶け合うユートピア(理想郷)を念じて創造した傑作である。「永遠の青年」に思われたレニーも亡くなって27年、来年は生誕100年を迎える。今年はミュージカル初演から60年の節目にも当たり、分断から融合、さらに理想郷への思いをこめたレニーの音楽に今一度、耳を傾ける絶好の機会といえる。

(池田卓夫 音楽ジャーナリスト)

コラム一覧

第1回
今こそ受け止めて!「ウエスト・サイド・ストーリー」の音楽にこめたレニーの思い
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