COLUMN

第3回魅惑的なダンスと名曲が溶けあう永遠の名作!

©nilz boehme

 レナード・バーンスタインによる珠玉の楽曲に彩られた「ウエスト・サイド・ストーリー」の原案とオリジナル版の演出・振付を担ったのがジェローム・ロビンス(1918~98年)。ロビンスはミュージカルだけでなくバレエの振付家としても頂点を極め、彼の遺した作品は関りの深かったニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)はもとよりヨーロッパ、ロシア、日本など世界各地のバレエ団のレパートリーに入っている。
 ロビンスはダンサーとしてバレエ・シアター(のちのアメリカン・バレエ・シアター)でも踊るが、44年に「ファンシー・フリー」を発表して振付家として頭角をあらわす。これは水夫たちの享楽的な休暇が題材で音楽はバーンスタイン。同作をミュージカル化した「オン・ザ・タウン」(44年)、それを映画化した「踊る大紐育」(49年)により名声を高め、「ピーター・パン」(50年)、「王様と私」(51年)の振付を手がけ、バレエでは「檻」(51年)、「牧神の午後」(53年)を発表する。そしてバーンスタインと再び四つに組んだ「ウエスト・サイド・ストーリー」(57年)が映画版(61年)も併せて空前の大ヒットとなった。
 ニューヨークを舞台に「ジェッツ」と「シャークス」という人種の異なる不良集団の争いと、そこで起こる若い男女の悲劇を描いた「ウエスト・サイド・ストーリー」においてダンスは大きなウエイトを占める。主人公のマリアとトニーの出会いの場からして体育館でのダンスパーティであるし、そこで「ジェッツ」と「シャークス」がダンスバトルを繰り広げる(「The Dance at the Gym」)。特にマンボの拍子に身を委ねた男女が丁々発止、ノリよく踊りヒートアップしていく姿は爽快だ。
 「シャークス」の女性たちが祖国プエルトリコへの屈折した思いを激しくぶつける「America」は名ナンバー。「ジェッツ」の面々による「Cool」では、若者たちのいまにも暴れ出しそうな鬱屈した感情がガンガン伝わってくる。いっぽう、これまたよく知られた「Somewhere」では、バレエがベースの流麗なリフトも織り交ぜた繊細なダンスが心に響く。 ロビンスはバレエやステージダンスに加え日常的な動作も自在に取り込んで登場人物の感情を巧みにすくいあげた。振付のボキャブラリーの豊かさもさることながら物語と音楽に絶妙に溶けあっているからこそ、いつ見ても新鮮なのであろう。ハードでスタミナも求められ踊り手泣かせに違いないが、演者の熱は確実に舞台に生気をもたらす。
 後年ロビンスの手によりダンスシーン中心に構成された「ウエスト・サイド・ストーリー組曲」(95年)が創られ、こちらも好評を得ている。ミュージカルとバレエを日本語に置き変えると、それぞれ音楽劇と舞踊劇になるが「ウエスト・サイド・ストーリー」は、いわば極上の“音楽舞踊劇”。一粒で二度おいしい至上の名作なのである。

(高橋森彦 舞踊評論家)